とやまの文化遺産 とやまの文化遺産

世界遺産候補
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日本の20世紀遺産20選 選定
日本の20世紀遺産20選 選定

黒部川水系の発電施設群

黒部川水系の発電施設群

自然と一体化した電源開発の究極

北アルプスに源流がある黒部川は、その急峻な地形と豊富な水量が水力発電に適し、大正から昭和にかけて発電施設が作られた。平成29年(2017)12月8日、20世紀の特徴である発電施設の大規模化を象徴する、自然と一体化した電源開発の究極と評価され、「日本の20世紀遺産20選」の4番目に選ばれた。3番目の立山砂防施設群とともに日本の近代化を象徴する施設である。

黒部峡谷の豊かな自然

黒部峡谷は、立山連峰の火山活動や後立山連峰の隆起で形成された地形を、黒部川が浸食して生まれた大規模なV字谷。S字狭や十字狭を含む「下の廊下」は、黒部峡谷の中でも特に豪壮で雄大な景観が連続している。
また、ライチョウやカモシカ、高山植物や原生林など動植物も豊かで、日本唯一の現存氷河や氷河地形などの特徴的な地質・地形も見られる。観賞上も極めて優れ、保護すべき天然記念物が豊富にある地域として、昭和39年(1964)に国の特別名勝特別天然記念物に指定された。

黒部川の電源開発の歴史と発電施設群

電源開発のはじまり

黒部峡谷における本格的な電源開発は、化学者で富山県の偉人として知られる高峰譲吉が東洋アルミナム株式会社を設立したことに始まる。高峰は、当時輸入に頼っていたアルミニウムの国内精錬に目を付け、必要な大量の電力を黒部川に求めた。大正11年(1922)、計画は不況や高峰の死によって頓挫したが、発電所建設計画は日本電力株式会社に引き継がれた。
日本電力は、大正12年(1923)に資材運搬用の軌道(現在の黒部峡谷鉄道)を敷き、昭和2年(1927)に「柳河原(やながわら)発電所」が完成した。黒部川で初めての本格的な発電施設で、実質的な黒部川第一発電所であったが、平成4年(1992)に廃され、現在はダム湖に沈んでいる。

黒部川の電源開発の歴史と発電施設群

自然景観に配慮した黒部川第二発電所

昭和9年(1934)に立山・黒部一帯が中部山岳国立公園に指定されると、発電所建設にあたっても自然への配慮が求められるようになった。黒部川第二発電所と小屋平ダムは、日本の近代を代表する建築家・山口文象による設計デザインで、昭和8~11年(1933~1936)に建設された。

黒部川第二発電所は、装飾を極力省き、機能性や合理性を重視したインターナショナルスタイル(国際様式)を取り入れた洗練されたデザインで設計された。鉄筋コンクリート造4階建てで、幅約49.4m、奥行30.25mに及び、幾何学的な外観が峡谷美に融合した建物である。発電所につながる赤い鉄橋は、近代日本では2例しかないフィーレンディール構造の目黒橋で、「昭和九年製作 大阪 日本橋梁株式會社」という銘板が今も掲げられている。

小屋平ダムは、高さ約51m、長さ約119mの重力式コンクリートダム。全体的に円弧曲線と直線を組み合わせた造形で、特に越流部はS型の曲線を描き、緑に囲まれた中にあって独特の景観になっている。山口は取水口と沈砂池もデザインしており、発電所とダムともに黒部峡谷鉄道からその意匠を楽しむことができる。

黒部川の電源開発の歴史と発電施設群

難工事の末に完成した
黒部川第三発電所

黒部川第三発電所は、仙人谷ダムから取水し、欅平に発電所を建設する計画で、昭和11~15年(1936~1940)に建設された。ダム建設地までの物資輸送路として、竪坑エレベーターや高熱隧道が有名な上部軌道も造られた。
黒部川第三発電所は、黒部峡谷鉄道終点の欅平駅の下方に位置する。鉄筋コンクリート造5階建てで、高さ約26m、幅約49m、奥行き約29mに及ぶ。外観は第二発電所を流用しつつ、柱をピラスター状にして垂直性を強調し、より小さい窓を採用するなど機能を優先した設計で、全体的に改造が少なく、建設当初の状況をよく留めている。

仙人谷ダムは重力式コンクリートダムで、小屋平ダムの設計を踏襲し、高さ約47m、貯水量は約24万㎥と一回り小さい。発電所同様にデザインの簡略化や、取水口と沈砂池を地下式にするなど随所に効率化が見られる。このダムへの物資輸送のために、標高約1,000mの絶壁に設けられた水平歩道や、上部軌道の高熱隧道での事故に加え、工事宿営所を泡雪崩が直撃したことなどにより、多数の死傷者を出す難工事だった。

黒部川の電源開発の歴史と発電施設群

世紀の大プロジェクト、
黒部第四発電所

日本電力は、昭和14年(1939)に設立した国策企業の日本発送電株式会社に統合された。折しも日中戦争がはじまり、対米戦へ突き進む時代であった。そして、戦後まもない昭和26年(1951)、日本発送電は解体され、現在に至る全国9つの電力会社が発足した。黒部川上流の発電施設は関西電力株式会社に移管された。
戦後復興が進み電力不足が深刻になるなか、関西の電力需用に対応するため、関西電力は黒部川のさらに上流に黒部川第四発電所とその取水ダムの黒部ダムを計画し、昭和31年(1956)に工事着手した。峻険な地形と厳しい気象条件のなか、工事は難航を極め、延べ1,000万人の人員と7年の歳月を費やして、昭和38年(1963)にようやく工事が完成した。建設の歩みは映画「黒部の太陽」で評判となった。

黒部川第四発電所は、高さ約33m、幅約22m、長さ約117mの鉄筋コンクリートの発電所で、「くろよん」の名で知られる。自然景観への配慮や雪崩を防止するため完全地中式の珍しい発電所である。
黒部ダムはコンクリート造のアーチ式ダムを基本とし、弱い岩盤への対策のため両端にウイング式重力ダムを取り付けた特徴的な形になった。高さ約186m、貯水量は2億トンで日本一の規模を誇り、黒部川の各発電所の発電量を調整する役割を担っている。

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