五箇山には相倉・菅沼のほかにも多くの文化遺産がある。
特に、昭和33年(1958)に重要文化財となった3つの合掌造り家屋は、それぞれに特徴があり、大切に守られている。
五箇山を代表する3つの合掌造り家屋
上梨地区にある合掌造り家屋。もとは山崎家の住宅であった。天正年間建築と伝わるが、建物の形式から江戸中期に建てられたと考えられている。改修が少なく建築当初の姿がよく保存され、五箇山の合掌造り家屋の最も代表的な例である。
五箇山を代表する3つの合掌造り家屋
上梨地区の対岸の田向地区にある合掌造り家屋。間取りや寸法、部材の加工(チョウナ仕上げ)などに古い特徴が見られ、江戸中期以前に建てられたと考えられ、合掌造り家屋の最も古い形式をよく残している。
五箇山を代表する3つの合掌造り家屋
県境近くの西赤尾地区にある、現存する中で最大級の合掌造り家屋。もとは塩硝を加賀藩へ上納した「上煮役」を務めた藤井家の住宅である。江戸後期に建てられ、木割が太く精良で、合掌造りの完成形と評価されている。
合掌造り家屋の特徴
「合掌造り」は茅葺きの叉首(さす)構造の切妻屋根の建物で、急勾配の屋根が手を合わせた姿(合掌)に似ていることから名付けられた。合掌造り家屋は、小屋組(屋根を支える骨組み)と軸組(柱・桁など主要部の構造)がはっきりと分けられる点が、ほかの民家とは異なる特徴である。この構造は大工が伝統的な組み方で立ち上げる軸組に対し、小屋組は住民が協力して作る、集落の慣習が生み出したものである。
さらに、積雪が3mを超える豪雪地帯の五箇山では、雪の重みや強風に耐える構造は何よりも重要だった。小屋組は、叉首(さす)(ガッショウ)を三角形に開き屋根を急傾斜とするだけでなく、軸組との境の叉首下端をウスバリに挿し込むだけの柔軟な構造で、積雪や強風によるゆがみに強い。また、その屋根の重さを柱に伝える軸組の「チョンナバリ」は、山の傾斜で育った根元の曲がった樹木を使い、構造的にも意匠としても優れている。
合掌造り家屋の特徴
合掌造りは空間利用も工夫している。広いアマ(屋根裏)での養蚕や、ニワ(土間)での和紙作り、床下での塩硝作りといった生業で、屋内を余すことなく使っている。大きな障子窓も、養蚕に必要な風や光を取り込むのに必要な合理的な工夫である。
合掌造り家屋は、もともとマタダテやコヤと呼ばれる土間に屋根をかけただけの簡易な構造の家屋に、これらの生業に広い空間が必要となり、軸組が加えられたことが始まりとされる。なお、マタダテは相倉にしか現存せず、合掌造りのはじまりを示す貴重な遺構になっている。