立山砂防工事専用軌道
常願寺川の水源部に位置する立山カルデラは、脆弱な火山堆積物の地質で、安政5年(1858)の「鳶崩れ」などの大規模な土砂崩壊で、下流の富山平野にたびたびの土砂流出被害を出している。そのため、下流の富山平野への危険を未然に防ぐことを目的に、砂防堰堤や山腹緑化等の立山砂防工事が実施されるようになった。
立山砂防事業は、明治39年富山県事業として着手したが、大正11年の豪雨により施設が崩壊し、大正15年からは、内務省直轄事業となった。事業は、近代砂防の父と呼ばれた赤木正雄の指導で行われ、砂防事業に不可欠な資材運搬手段として軌道が必要であるとの判断から軌道工事を推進した。軌道工事は大正15年に着手され、昭和4年に千寿ヶ原から樺平までの11.7㎞が開通し、昭和6年には樺平から白岩までインクラインを挟んで開通した。その後、昭和40年に樺平付近の世界でも類を見ない連続18段スイッチバックを含め、千寿ヶ原(起点)から水谷(終点)まで総延長約18㎞、標高差640mの軌道が完成した。
軌道は現在も現役として使用され、長期間保たれている工事専用軌道として歴史的評価を得ている。
名称 | 立山砂防工事専用軌道(たてやまさぼうこうじせんようきどう) | ||
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指定区分 | 国 | 指定種別 | 登録記念物 |
種類 | 指定・登録日 | 平成18年(2006)7月18日 | |
市町村 | 立山町 | 所在地 | 芦峅寺字ブナ坂60-1外 |
所有・管理 | 国土交通省 農林水産省 | 員数 | |
構造 | 年代 |