平成15年(2003)、ユネスコで「無形文化遺産保護条約」が採択された。平成30年7月現在、締結国が178か国、399件の無形文化遺産が登録されており、条約策定にあたり主導的な立場だった日本は、平成16年(2004)6月に世界で3番目に加盟し、歌舞伎や和食など21件が登録されている。
平成28年11月30日、富山県の「高岡御車山祭の御車山行事」、「魚津のタテモン行事」、「城端神明宮祭の曳山行事」の3つの行事を含む全国33件の行事からなる「山・鉾・屋台行事」が無形文化遺産に登録された。
富山県は、祭礼で山車や屋台が巡行する行事が、全国的にも多く残っている地域である。江戸前期に始まった高岡御車山を皮切りに、江戸中期には八尾(富山市)、放生津・海老江(射水市)、城端(南砺市)、氷見(氷見市)、石動(いするぎ)(小矢部市)、出町(砺波市)などの特産品や交易で財を成した町で行われるようになり、さらに、江戸後期から明治にかけ、大久保(富山市)、伏木(高岡市)、大門(射水市)、福野・福光・井波(南砺市)などへ広がったと言われている。
これらの行事にはいくつか種類があり、富山県では地山(基部)と飾り山(上部構造)から、築山・曳山・行燈の大きく3つに分けることができる。
自然の山にならい、模型や築山を設ける動かない山。
上部構造に花傘を立て、人形が据えられるもの。
上部構造に柱をもつ破風(はふ)屋根と人形が据えられるもの。※上部構造で子供歌舞伎の芸能が演じられる「子供歌舞伎」を含む。
大型の行燈が基台の上に据えられたもの。
そり状の基台に複数の提灯を高く掲げたもの。
慶長14年(1609)、加賀前田家2代前田利長が、かつて豊臣秀吉が後陽成天皇を聚楽第に迎えた際に使用した御所車を、高岡開町にあたって町民に与えたのが始まりとされる。関野神社の春季祭礼で、山町筋の7基の曳山が巡行する。
中央に心柱が立てられ、竹かごとこれを覆うように華やかに飾られた花傘が据えられ、最上部には蝶や鶏など様々な鉾留(ほこどめ)が置かれる。巨大な車輪や高欄、鉾留などの随所に漆工、金工、木工の高岡の職人の高い技術が見られ、豪華絢爛な曳山の見どころとなっている。
御車山の巡行は、毎年同じルートで行われ、坂下町の獅子舞を先頭に曳山が続き、各町の役員は羽織・袴に威儀をただしての曳山の前後左右に並び、曳山に乗る子どもは麻の裃を着用し、曳き手は揃いのはんてんと白足袋姿で練り歩く。巡行の最後を飾る二番町の曳山は、他の6基がすべて四輪であるのに対し、二輪である。高岡御車山祭は、この地域に分布する曳山行事の中でも規模が大きく、高度な工芸技術が随所に見られる曳山として重要である。(写真:高岡市教育委員会提供)
魚津市諏訪神社の祭礼には、氏子の七町内から提灯や行灯で飾られたたてもんと呼ばれる大型の作り物が曳き回される。この行事は、海の安全や豊漁などの祈りと感謝を表現した祭りで、供物を神に捧げたてまつるという言葉が転じ、「たてもん」と呼ばれるようになったという。
タテモンはそり状の台に約15mの芯木を立て、提灯や行灯を三角形に飾ったもので、風を受けた船の帆を見立てたものである。最上部には神の依り代となる六角行灯を付け、ヤナギと呼ばれる割竹の長い飾り枝を垂らす。
祭礼当日には、諏訪神社氏子の町内から7基のタテモンが繰り出され、法被(はっぴ)姿の曳き手がぐるぐると勢いよく曳き回す様は圧巻で、魚津の夏の風物詩となっている。旧漁師町挙げての大規模な祭りであり、秋田の竿灯や京都の風流(ふうりゅう)灯籠との関係を窺わせ、この地域の特色を示すものとして重要である。(写真:魚津市教育委員会提供)
城端神明宮祭の曳山行事は、城端神明宮の春の例祭に行われ、神輿の巡行に伴い、獅子舞、鉾、曳山、庵屋台の各種作り物が町内を巡行する行事である。
2日間にわたって行われ、初日の宵祭りでは、城端神明宮から、3台の神輿(春日神輿・石清水神輿・神明神輿)が、野下町と新町に毎年交互に設けられる御旅所(神様が休憩する場所)まで巡行する。この日、曳山の人形を山番(山宿)と呼ぶ家に飾り、一晩公開する。翌日、神輿の渡御(とぎょ)に引き続いて、鉾、曳山、庵屋台が巡行する。
曳山は、四輪の堅牢な基礎の上に人形を飾り、四本の隅柱に天井絵が描かれた破風(はふ)屋根を設け、随所に彫刻や飾り金具で装飾された漆塗りで豪勢に飾られる。曳山が転回する「曳き回し」では、車輪が地面に擦れる音や曳山の各所で生じる軋む音に迫力がある。曳山に先行する庵屋台は、囃子を演奏しながら巡行し、若連中により庵唄が披露され、江戸情緒あふれる雰囲気を感じることができる。
この行事は、神輿の巡行に各種作り物がお供するという古い形を残し、庵唄などに地域的特色がみられる貴重な行事である。