とやまの文化遺産 とやまの文化遺産

とやまの建物

 日本は豊かな森林資源を活用し、古くから木造建築を建ててきた。富山県にも、木の特性を活かした材木を使い、継手・仕口といった伝統的な技術で組み上げる「伝統建築」が数多く残っている。

建物の構造と用語

 「伝統建築」は、西洋の影響を受ける前の日本建築で、概ね江戸時代以前の建物である。伝統建築は、木の特性を活かした材木を継手や仕口といった工法で組み合わせ、釘や鎹などに頼らない伝統構法で組み上げられる。ここでは建物を見るにあたりポイントになる構造を紹介する。

(1)伝統建築の構造

 伝統建築は大きく「屋根構造」と「軸部構造」に分けることができる。

・屋根構造

屋根 建物の上部を覆い、天候の変化から内部を守る構造
小屋組(こやぐみ) 屋根の形を保ち、その重さを支える骨組み構造
組物 軸部と小屋組をつなぎ、大きく張り出した屋根の重さを支える構造。社寺建築で主にみられる。

・軸部構造

基礎 建物の重さを支え、地盤に伝える最下部の構造
木材を垂直に立てて、建物の支えとなる構造
建物の四方を囲う、または部屋の仕切りとなる構造
伝統建築の構造

(2)屋根構造

・屋根の構造と材料

 屋根の一番高い所を棟(むね)といい、棟と平行方向 を「平(ひら)」、直角方向を「妻(つま)」と呼ぶ。「平入り」や「妻入り」は、建物の出入り口の方向を示している。屋根の構造は大きく4種類に分けられ、複雑な屋根もこれらの組み合わせである。

切妻(きりづま)造り 本を半開きにして伏せた形の単純な最も初源的な構造である。
寄棟(よせむね)造り 棟(むね)の両端から、軒(のき)の四隅へ下る隅棟が四つある構造のもの。切妻が発展したもので、全国的に最も普及している形式である。
入母屋(いりもや)造り 上半部分が切妻造りで、下半部分の四方に庇がついたもの。寺院や茅葺(かやぶき)の民家の多くはこの形式である。
方形(ほうぎょう)造り 四方の隅棟が中心の一点に集まったもので、四角錐に見える構造のもの。一般の住居には少なく、寺社建築に多く見られる。

 屋根材で最も古いのは草葺きで、次に藁や茅葺きとなり、明治時代まで一般的に用いられる。寺社では、飛鳥時代に大陸から伝わった「瓦屋根(本瓦葺き)」や木の樹皮を剝いた「檜皮(ひわだ)葺き」、樹木を薄板状に割った「杮(こけら)葺き」などが見られる。瑞龍寺(高岡市)の「鉛葺き」屋根は、木で屋根を作り、その上に鉛板を張り付けるもので、金沢城などでしか見られない特殊な事例である。

 民家では、江戸時代の中頃から街道筋を中心に板材の上に石を置いた「石置き板葺き」(石置き屋根)が現れる。明治時代には、桟瓦(丸瓦と平瓦が一体になった「へ」の字状の瓦)が流行し、「金属板葺き (銅板、鉄板、トタン)」、「スレート葺き」など西洋建築から導入された素材も使われるようになった。

屋根の種類

・小屋組の種類

 屋根の形を保ち、その重さを支える骨組み構造である小屋組は大きく3種類にわけることができる。合掌組と和小屋が伝統建築の小屋組にあたり、洋小屋はヨーロッパの影響を受けたもので、明治以降の建物で採用される。

合掌組(叉首組) 2つの丸太を、手を合わせたように組み合わせた、古い小屋組。伊勢神宮の正殿や五箇山の合掌造り家屋がこれにあたる。
和小屋 小屋梁の上に束(短い柱)を立てて組み上げる伝統的な小屋組。高度な技術力が必要で、美しい屋根の曲線を作るのに適している。
洋小屋 斜材を用いており、柱が少なく耐久性に優れた小屋組である。
小屋組の種類

(3)軸部構造

・基礎

掘立柱建て 地面に穴を掘って柱を立てる古い形式。縄文時代から見られるが、柱が腐りやすいと言う欠点がある。
礎石建て 石の上に柱を立てるもので、寺院建築などにみられる。不安定な基礎を補うため、上部を貫や梁といった横材で固める必要がある。
土台建て 基礎となる土台(木や石、コンクリなど)の上に柱を立てる、安定性の高い基礎。現在の家屋に多くみられる。
基礎の種類

・柱と桁(けた)・梁(はり)

 基礎の上に建てる柱には、丸柱(円柱)と角柱があり、丸柱が一般的である。角柱では、角を装飾的な面取りで仕上げるものもある。
 柱と柱の間は「柱間」といい、「間」という単位で建物の規模が表す。例えば、3間(けん)×4間(けん)は梁方向に柱間3つ、桁方向に柱間4つの規模である。現代の1間は約180cmだが、建物の大きさ、建築年代や地域でその長さは異なる。
また、柱の上部を水平につなぐ材のうち、垂木を受けるものを「桁(けた)」と言い、屋根や小屋組の重さを支えるものを「梁(はり)」と言う。簡潔に言うと、建物の長軸方向に柱をつなぐのが桁で、短軸方向に渡して小屋組を支えるのが梁である。古い家では太くて立派な梁を見る事ができ、合掌造り家屋では「チョンナバリ」と呼ばれる大きく曲がった木材が使われる。

・壁

 壁には、空間を区切る役割と構造物の重さを支える役割がある。空間を区切る壁は、屋内外を分ける「外壁」と部屋を分ける「間仕切り壁」に分けられる。壁材は古くは草壁で、現在残る伝統建築では土壁や板壁が主流である。寺院では土壁も板壁も使うが、神社では原則板壁しか使われない。貴重な品々を納める土蔵には、耐火性や耐久性が高い土壁を採用している。

板壁 木の板(羽目板)でできたもの。板の張り方から縦羽目板張り、横羽目板張り(板の一部を重ねる下見板張りを含む)がある。
土壁 柱間に木舞(こまい)(割った木や竹で作った細い材)を縄で編み付け、土を塗って仕上げた壁。柱や梁を露出した状態で仕上げる「真壁」と、それらを壁の中に取り込んで仕上げる「大壁」に分けられる。
張付壁 土壁や板壁の表面に布や紙を張り付けたもので、表面となる紙や布には絵を描いたり、木版刷りの紙を張ったりする。

 財力のある寺院や商家では、土壁の表面を漆喰(消石灰に海藻糊やスサを混ぜて水で練ったもの)で塗る「漆喰仕上げ」と呼ばれる、白く美しい装飾も見られる。この漆喰壁が発展し、平瓦を壁に貼り付け、そのつなぎ目に漆喰をナマコの形に盛り上げる「なまこ壁」や、壁を塗る鏝(こて)を使って立体的な絵や文様を浮き彫りした「鏝絵」などの芸術性の高い壁も作られた。

土壁の種類

富山県の伝統建築

(1)富山県最古の建造物

 戦国時代の富山では、上杉謙信や一向一揆の介入により、一国を支配する有力な大名が現れなかった。そのため、中世以前の建物は、氣多(けた)神社本殿(高岡市)や白山宮本殿(南砺市)、雄山神社前立社壇本殿(立山町)などごくわずかである。五箇山にある白山宮本殿は文亀2年(1502)に建立された、県内最古の建物で、様式的なくずれが比較的少ない貴重なものである。

白山宮本殿(南砺市)

(2)前田家寄進の建造物

 天正13年(1585)に越中の支配者となった前田家(加賀藩)は、多くの社寺を保護し、建物の寄進を行った。代表的なものに、加賀前田家3代・前田利常が建立した曹洞宗・瑞龍寺や、かつての住職で藩主となるため還俗した加賀前田家11代・前田治脩(はるなが)が伽藍の整備を支援した浄土真宗・勝興寺、武運長久の神様として利長や利常の寄進を受けた護国八幡宮(小矢部市)がある。

(3)真宗王国の寺院建造物

 富山県は浄土真宗の門徒が多く、真宗王国と言われる。戦国時代に一向一揆の拠点だった勝興寺や善徳寺、瑞泉寺をはじめとした有力寺院は、江戸時代には加賀前田家と関係を深めつつ、信仰心が篤い門徒達の寄進により立派な伽藍が残っている。
五箇山には、かつて集落ごとに念仏道場があり、現在も旧上中田の念仏道場(南砺市)や五箇山の念仏道場(南砺市)などにその姿を見ることができる。

(4)豪農の住宅

 豪農の住宅は、土地が限られた町屋とは異なり、土地の制約がないため地域毎に様々な形態をしており、ヒロマを中心とした間取りと構造に特徴があるといわれている。さらに、屋根構造にも地域色が見られ、豪雪地帯にある五箇山の合掌造り家屋は急傾斜の切妻造りで、散村で有名な砺波地方は寄棟造り、その他の地方は入母屋造りの屋根が一般的である。

 明治末期以降、多くは茅葺きから瓦葺屋根へ変えられ、県東部では切妻造り平入りの「マエナガレ型」、県西部では切妻造り妻入りの「アズマダチ型」 へと移り変わり、富山の農村景観の特徴となっている。

(5)豪商の住宅

 県内には北前船の寄港地として栄えた港町がいくつもあり、富山市岩瀬や高岡市伏木などには廻船問屋の豪壮で贅を尽くした建築物が数多く残っている。それらの建物からは、北前船が単に日本海交易の物流だけでなく、文化の交流の礎となっていたことが伺える。また、江戸時代に富を蓄えた高岡市山町筋などの豪商たちも、贅を尽くした材を用いた凝った意匠の建築物を残している。

(6)立山信仰ゆかりの建造物

 夏でも雪が残る立山連峰の峰々は、奈良時代ごろから信仰の対象となっていた。雄山山頂の峰本社、山麓の立山町岩峅寺(いわくらじ)に雄山神社前立社壇本殿、立山町芦峅寺(あしくらじ)に中宮祈願殿があり、山頂から山麓に至るまで信仰の空間を築いている。

 江戸時代には加賀藩の厚い保護もあって、立山信仰が全国に広まると、立山登拝を行うため人々が集まるようになった。加賀藩は登拝者が宿泊する立山室堂を設け、現在も国内最古の山小屋としてひっそりと佇んでいる。

MENU