宮崎城跡
宮崎城跡は城山頂上にあり、越中と越後の国境に近い、県内最古の山城である 。東は親不知、西は新川平野一帯、そして遠く能登半島まで見渡せるため、平安時代の末から約400年間、軍事上の重要な基地になることが多かった。治承4年(1180)、木曽義仲が後白河天皇の孫を奉じた。承久の乱(1221)ではこの城が基地となったが落城した。中世から近世にかけても上杉、佐々、前田の諸将が城を守らせた。明治以後は軍事的に適していることで、陸軍用地になっていたこともある。
現在は不明瞭ながら、本丸、二の丸、三の丸、土塁、矢倉、侍屋敷、石垣の跡を認めることができる。
名称 | 宮崎城跡(みやざきじょうせき) | ||
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指定区分 | 県 | 指定種別 | 史跡 |
種類 | 指定・登録日 | 昭和40年(1965)1月1日 | |
市町村 | 朝日町 | 所在地 | 城山10 |
所有・管理 | 朝日町 | 員数 | |
構造 | 年代 | 平安時代~ | |
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