氣多神社本殿
延喜式神社で、天平宝字年間(757~764)に能登一の宮気多大社から越中一の宮として、祭神を移し祭ったといわれている。その後天文年間(1532~1555)に上杉謙信の兵火に社殿がことごとく焼失し、永禄年間(1558~1570)のころに再建したのが現在の本殿であるといわれている。
本殿の構造は三間社流造りで、一間の向拝といわれるひさしが曲線形に長く張り出している。屋根は杮葺きで軒は二重繁棰である。全体的に建築の意匠は簡単だが木組みの割合が大きく、荘厳な風格の社殿で室町時代の特色がよく残っている。
名称 | 氣多神社本殿(けたじんじゃほんでん) | ||
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指定区分 | 国 | 指定種別 | 重要文化財 |
種類 | 建造物 | 指定・登録日 | 昭和6年(1931)1月19日 |
市町村 | 高岡市 | 所在地 | 伏木一宮2063 |
所有・管理 | 氣多神社 | 員数 | |
構造 | 三間社流造り(本殿)、杮葺き(屋根)、二重繁棰(軒) | 年代 | 天平宝字年間(757~764)、永禄年間(1558~1570)のころ再建 |